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湯川秀樹の物理学

湯川の時代の物理学と中間子論(5)湯川の中間子論

量子力学と相対性理論

20世紀初頭の物理学界では、量子力学の成立と共に、アインシュタインの相対性理論という、もう一つの大革命が起きました。1905年にアインシュタインが提唱した特殊相対性理論によれば、時間と空間は「時空」という同じものの別の見方に過ぎません。特殊相対性理論により、ニュートン以来物理学者が持っていた絶対時間・絶対空間という概念が崩れ去ります。

ところが、量子力学が確立して間もなく、この理論は特殊相対性理論と整合しないという問題が判明します。ハイゼンベルクとシュレーディンガーが最初に完成させた量子力学では、相対性理論との整合性が考慮されていなかったため、当時多くの物理学者が量子力学を相対性理論と整合するように拡張しようとしましたが、この試みが当初全くうまくいかなかったのです。

1928年になって、単独で存在する電子や陽子などを量子力学と特殊相対性理論の双方を満たす理論形式で記述する方程式「ディラック方程式」をディラックが発表します。この発見により、電子や陽子の運動を特殊相対性理論と量子力学の双方を満たすように記述する見通しが立ちます。この理論では、ディラック方程式に従う電子や陽子が、光子をキャッチボールすることで電磁相互作用をします。前にも触れたように、このとき交換される光子の質量はゼロ、すなわち光子は質量を持たない粒子であることに注意して下さい。

しかし、この理論は様々な問題を含んでおり、1930年代には正しい理論であるという保証がありませんでした。相対論的な量子力学を正しく定式化するには場の量子論と呼ばれる新しい理論体系が整備される必要があり、これが完成するのは1940年代半ばを待たねばなりません。なお、場の量子論の完成には我が国の理論物理学者で、湯川とは高校・大学時代の同級生であった朝永振一郎が大きく貢献しました。朝永はこの業績により、日本人として湯川に続く二人目のノーベル物理学賞受賞者となります。

湯川の中間子論

以上で、ようやく湯川の中間子論を説明する準備が整いました。いよいよ湯川理論の説明に入りましょう。

前にも説明したように、湯川の中間子論とは、陽子や中性子の間に働く未知なる相互作用に関する理論です。陽子や中性子の間に電磁気力と重力だけしか働かないとすれば、陽子と陽子は反発して引き剥がされてしまうので原子核は安定に存在できません。だから、電磁気力より強い引力相互作用が存在するはずです。

さて、上のディラック理論の紹介で説明したように、場の量子論の立場では、電磁気力は「光子」と呼ばれる質量を持たない粒子をキャッチボールすることで働きます。また同様に、万有引力も「重力子」と呼ばれる粒子のキャッチボールによって働くと理解することができ、重力子も質量を持たない粒子です。

電磁気力も万有引力も質量を持たない粒子の交換によって働く。なぜ、相互作用を媒介する粒子は質量を持たないのでしょうか。質量を持つ粒子が媒介する相互作用があっても良いのではなかろうか。そして、陽子や中性子の間に働く力は、まさにそのようなものなのではないか。これが湯川の着想でした。

質量を持った粒子が作り出す相互作用を具体的に計算すると、相互作用の強さは一定の距離で急激に減衰し、長距離では事実上全く働かないことが分かります。また、力が減衰する距離は交換する粒子の質量に反比例し、質量が重いほど短くなります。このような性質を持つ相互作用は、現在では「湯川型相互作用」と呼ばれています。

この湯川型相互作用の性質は、まさに陽子や中性子の間に働く力が満たすべきものでした。短い距離では電磁気力に打ち勝って陽子や中性子を原子核にとどめる強い引力を作り出しますが、遠方では力の強さが急激に減衰するため、この新しい力が我々の身近な自然現象では観測できないことをも同時に説明できます。そこで湯川は、この未知なる粒子の交換による相互作用こそが陽子や中性子の間に働く力だと考えました。また、そのような力が存在するのであれば必然的に質量を持った粒子が存在するはずなので、湯川はこのような粒子の存在を予言し、この粒子を「中間子」と名付けました。

この説明だけだと、湯川理論の衝撃が伝わりにくいかもしれません。しかし、1930年代というのは、相互作用が粒子の交換によって媒介されるという考え方すら登場したばかりで、理論的基礎が固まっていない時代です。また当時は電磁気力と重力という、質量を持たない粒子による相互作用しか知られていない時代でした。このため、湯川の理論は極めて独創的で、また勇気ある提案だったのです。

湯川が提唱した新しい相互作用は、原子核の大きさくらいの距離でしか働かないので、このことから中間子の質量を推定することができます。原子核物理ではMeV(「メブ」と発音します)という質量の単位がよく使われますが、湯川は当時知られていた原子核の性質から、中間子の質量を約100MeVと予言します。電子の質量はこの単位で約0.5MeV、陽子は約940MeVなので、湯川粒子の質量は電子と陽子の中間くらいだというのが、「中間子」と名付けられた理由です。なお、湯川理論の発表から12年を経て実験的に発見される中間子の質量は約140MeVと湯川の予言からそう外れておらず、湯川の考察の正しさが実験的に裏付けられることとなります。

次回記事
「湯川の時代の物理学と中間子論(6)湯川理論のその後」
2020年3月18日(水)公開予定

(文責:北沢正清)

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