理論コロキウム記録(阪大)1938
湯川秀樹は1938年4月5日に大阪帝国大学より学位(理学博士)を取得しました。研究活動をさらに高めるために、この年より研究室での勉強会、セミナーの記録を自筆でノートに取リ始めました。史料 OU1938-X1 「湯川研究室理論コロキウム記録」 はその研究室日記で表紙には湯川博士の字で、「理論物理学 研究室記録(京大)」、「理論コロキウム 記録(阪大) 1938-1939 I」と書かれています。このノート前半が大阪帝国大学助教授時代の1938年4 月 21 日から 12 月 23 日までの 31 回分の研究室活動の記録です。湯川博士は 1939 年 5 月 26 日に京都帝国大学教授に任ぜられ、京都帝国大学理学部物理学教室に転任しました。ノートの後半は転任してからの記録です。 (表紙の最初の 3 行と最後の「(阪大)」「1939」「I」の文字は、京都帝国大学転任後に書き加えられたものです。) 第8回コロキウムの記録(日記の13ページ目): 第8回 May 19, 1938 木 一階食堂にて (食堂とは研究室で食堂として使っていた菊池研の部屋のこと) 坂田昌一さんがベータ崩壊の理論の説明をしたとある。ベータ崩壊とは 中性子(N) -> 陽子(P) + 電子(e) + ニュートリノ に崩壊する現象で、ここでは 第1段階: 中性子(N) -> 陽子(P) + U粒子(Uマイナス) に崩壊 第2段階: U粒子(Uマイナス)-> 電子(e) + ニュートリノ に崩壊 と考えて説明しようとしている [ (56) の上の式]。U粒子(Uマイナス)は 湯川が提唱した中間子(いまのパイ中間子)に対応するものです。 現在の理解では、ベータ崩壊は弱い相互作用(力)で起こります。1938年では、核力と弱い力の違いもよくわかっていませんでした。パイ中間子もまだ見つかっていませんでした。第1段階のプロセスは核力、第2段階のプロセスは弱い力によって起こりますが、現在ではWボゾンを媒介とする弱い力によって直接 中性子(N) -> 陽子(P) + 電子(e) + ニュートリノ の崩壊が起こることがわかっています。湯川さんや坂田さんたちは、試行錯誤でこの現象を説明しようとしていたのです。ここでの議論は 湯川、坂田、小林、武谷の中間子第4論文に繋がっていくものです 文責: 細谷 裕(大阪大学) |
「湯川研究室理論コロキウム記録」 表紙 第8回コロキウム、1ページ目 |