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大阪大学大学院理学研究科 教員インタビュー

湯川との三度の出会い

橋本幸士(大阪大学教授・湯川記念室委員長(2020年当時))

 

私は人生で三度、湯川秀樹に、出会いました。

それぞれの出会いは全く異なるコンテクストでしたが、自分の物理学者人生の節々で湯川秀樹が現れることは、湯川が偉大な物理学者であり、現代物理学の基礎を築いたこと、そして人間としての湯川が魅力溢れる人物であること、が要因ではないかと自然に感じます。

 

 

初めての出会いは、色紙でした。

私は特に「科学大好き少年」で育ったわけではありません。よく、物理学者へのインタビューでは「小学生の時に湯川秀樹の伝記を読んで」といったエピソードがあり、かっこいいなと思うのですが、私は、湯川秀樹なぞ大学の3年生になる頃まで知らなかったのです。しかもその頃に物理学の授業で私が学んだ湯川は、そのほかの科学者数学者と同じく、灰色の歴史上の人物でした。

大学院で京都大学の素粒子論研究室に進学した私の目に、そのセミナー室の南壁の上に小さくかかっている色紙が目にとまりました。そこには小さな字で、湯川秀樹が詠んだ句が直筆で書かれ、湯川のサインがしてありました。それをしげしげと眺めたとき、初めて、私は湯川が学び研究を行った場所に時間を超えて今現在いるのだ、という実感に襲われました。初めて、人間としての湯川秀樹を感じた瞬間でした。

そのセミナー室では、毎週毎週、物理の討議が行われます。その討議を湯川秀樹は色紙から眺めているのかもしれない、そう思ったこともありました。しかし、私はその後、重力の量子論である超弦理論を研究する道に入り、湯川が切り開いた原子核物理学とどんどん遠ざかっていく自分を見つけ、私の中での湯川はいつか、過去の偉人の一人という位置付けに過ぎなくなってしまっていました。

二度目の出会いは、純粋に「物理の中」でした。

修士課程で超弦理論を学んだ私は、自然に、その後も重力の量子論を学び研究していくことになりました。超弦理論は、数学に最も近い物理学でしょう。そこで書かれる論文は、場の量子論や重力理論についての論理的無矛盾性に重きを置き、例えばkgやeVなどといった物理の単位が全く登場しないような世界です。従って、湯川が切り拓いた陽子や中性子の物理とは、かなり遠い世界でした。

しかし、歴史的には、弦理論は1970年ごろに南部陽一郎らが陽子や中性子などを記述するために導入されたのです。そのことが遠い回り道をして科学の本流に還流してきました。2008年ごろから、超弦理論という重力の量子論が、陽子中性子の構成要素であるクォークの理論と等価であるという研究が飛躍的に進み、なんと、超弦理論を用いて陽子や中性子が記述できるようになり始めたのです。私はその時初めて、湯川の理論を本当に詳しく学びました。そして、湯川粒子の媒介による核力(Nuclear force)を、超弦理論によって記述する論文を書きました。

物理の研究の「中」で偉人に出会うことは、物理学者にとって本質的です。その物理学者が開発した概念で毎日朝から晩まで遊び、遊び尽くして、初めてその概念をまるで我が物のように会得するのです。私にとって、湯川は、まさにこの論文を書いた2009年から、自分の体の一部になりました。

そして、三度目の出会いは、人間としての湯川でした。

大阪大学に教授として着任する頃、「黒板が好きだ」ということが周りにバレ始めて、そのおかげで幸運なことに、コロンビア大学から大阪大学に湯川秀樹の黒板を移設することができました。私は、黒板の移設は、学生や研究者に良かれと思って純粋に大学や科学界のために行ったのですが、実際に船で移送されてきた黒板を初めて触った時、非常に複雑な気持ちがしたのです。そのひんやりしたスレートの黒板から、まるで湯川秀樹の思考が伝わってきたような気がしたのです。

もちろん、気のせいでしょう。しかし、実際に湯川秀樹が使っていた黒板に自分も書いてみるという、この単純な行為が、自分の中の湯川理論から、それを始めて構築した湯川秀樹という人間に昇華したのです。

 

 

 

実のところ、私には湯川秀樹は人間的な温かみを感じることがあまりなく、これは朝永振一郎が大変人間味あふれる日記を残しておりそれを熟読してしまったことが原因かと思います。私は人間の認識と物理学の関係に興味を持っており、高次元の空間や時間の研究をしている手前、それを応用した「高次元小説」というものを作ったことがあります。これは詩のようなものですが、自分の次元についての認識を広げられないかとあがいていた結果に生み出された奇妙なものでした。

不思議なことに、2018年に刊行された湯川秀樹の随筆集のタイトルが『詩と科学』とあったのです。私はそれまで、湯川秀樹がそのような随筆を書いていたことも知りませんでした。書店で驚いて手に取り、読み始めました。そこには、湯川秀樹が人間の認識について、詩と科学を比較しながら、協調的に述べた素晴らしい文章が並んでいました。

物理学者は、もちろん人間です。湯川秀樹も、そしてそのほかのすべての物理も、一人一人の個人が作り出したものです。この総体の中に一人の物理学者として生きていること、そのことに私は深い感動を覚えます。湯川はこれからも私の中に、人間として、生きていくのだと思います。

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