近代物理学と常識 – 湯川は語る
1935年12月18日に水曜会で行なった講演「近代物理学と常識」の原稿である。最初の1枚目は白紙の原稿用紙で、その後、縦書きの400字詰の原稿用紙20枚に及ぶ。量子力学が確立されて以降、物理学の考え方がどのように変化したかを大きな見地から一般の聴衆に解説している。湯川の思索の原点を語る貴重な史料のひとつである。
まず原稿が縦書き原稿用紙に綴られていることに注意したい。大阪帝国大学時代は湯川が物理学の研究に没頭していた時期で、縦書きの講演原稿を書くことは稀であった。和文を縦書きで記すときの湯川の筆記体は若き日から書道で鍛えられ流れるように美しい。一部の漢字は湯川独自の流儀で略されている。
湯川は19世紀の物理学に比べて20世紀、特に量子力学以降の物理学(近代物理学)の考え方には大きな違いがあることから話を始める。一般の方が受ける印象として近代物理学は常識から遠ざかっているように思えるかもしれない。物理学はあらゆる現象を分解して単純な基礎的な現象に帰着させ、一般的な法則を求める。この見地に立つと、例えば宇宙線の研究は日常では得られない高いエネルギーの現象で、今後の物理学にとって重要な問題である。陽子、中性子、電子、光子がどのように運動し、変換していくか、現代の素粒子物理学の構図を語る。
その後、量子論の考え方、描像について説明する。光が粒子として振る舞うこと、その実験的証拠、そして量子力学では物事が確率的に記述されることを強調する。日常社会の商売による例え話、選挙の話を引き合いに出して説明しようとしているのは面白い。常識で考えて偶然なことも、よく調べてみれば必然的な原因があると考えるのが物理だという。よく考えてみると、素朴な常識的な考え方と近代物理学の考え方は意外に似たところがあるという。更に、自然科学が発展すれば、将来、物理の考え方は心霊的なものにも適用されるようになるだろうと述べている。まさに、その時代が近づきつつある。 文責: 細谷 裕 (大阪大学) |
史料 OU1935-B3 講演「近代物理学と常識」 |