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大阪大学大学院理学研究科 教員インタビュー

湯川の研究への情熱に、心が奮い立つ

大阪大学大学院理学研究科
北沢 正清(助教)

 

 

Q:今回公開された湯川秀樹の史料の内容は、いかがでしたか?

はい、すごいの一言に尽きますね。僕が今まで湯川に対して持っていたイメージが根本から覆りました。

湯川秀樹って、「湯川中間子」という名前を粒子に残して我が国に初のノーベル賞をもたらした方なので当然偉大なんですが、あまり努力せずに栄光を勝ち取ったというイメージを持っている人が、特に物理学界に多いのではないかと思うんです。かくいう僕も、実は漠然とそう思っていました。

なんでそんなイメージなのかと考えてみると、例えばノーベル賞の研究成果を挙げた大阪帝国大学時代には、当時の上司の八木秀次さんに、「君はちっとも論文を書かない」とか、「君ではなく朝永振一郎君に来てもらえばよかった」とかで厳しく叱責されたという話があって、その逸話がなぜか物理学界でとても有名なんです。まあ偉い方なんでそういう話が語り継がれるんでしょうけど、そんな話だけ聞くと、上司に怒られたので仕方なく論文書いたらノーベル賞取れちゃったと、いうふうに勘違いしてしまいがちですよね。

Q:そのイメージが、覆ったと。

はい、そうですね。
この企画に参加させて頂いた縁で今回公開された史料にはだいぶ目を通しましたが、とにかく印象的だったのが、当時の阪大時代の湯川が驚くほど貪欲に活動して、研究の情報収集や情報交換に努めていたことです。自分が日本の素粒子物理の将来を背負って、この分野を切り拓くんだという志と覚悟で研究していたことがひしひしと伝わってきます。

僕も、縁あって当時の湯川と同じ大阪大学で理論物理学をしていますが、その立場から想像しても、当時の湯川の情熱は凄まじいです。八木さんに叱られたという逸話から素朴に連想される姿とは正反対で、阪大に着任した当初からすごい熱量で活動していたことが史料から読み取れて、僕は衝撃を受けました。

考えてみれば当たり前ですが、当時はインターネットもありませんから情報伝達が今より遥かに遅く不便な時代で、しかも、当時の物理学は量子力学と相対性理論という革新的な理論体系が完成したばかりで、これらを基盤に新しい物理学が日進月歩で組み上がっていった時期なので、最先端に付いていくだけでも相当な努力が必要だったはずです。そこでの人一倍の努力があったからこそ我が国初のノーベル賞につながるわけですが、その過程を記した生々しい記録をまざまざと見せつけられると、やはり圧倒されるというか、感銘を受けます。

是非、今までの僕と同じような湯川像を持っていた皆さんに史料を見て頂いて、イメージを改めて頂きたいと思います。八木さんに怒られたという話にしても、これだけ精力的に活動しても認めてくれない八木さんはどんだけ厳しいんだよと。そう思えば、もし今置かれている境遇が多少理不尽だったとしても、まあ仕方ないかという気になりますよね。

Q:物理学者になるうえで、湯川秀樹からはどのような影響を受けましたか?

僕の場合、物心がついて「ノーベル賞」というものの存在を知った時点で、日本人のノーベル賞受賞者は7人だけでした。その中でもノーベル物理学賞はたったの3人。今となっては、数え切れないほど日本人の受賞者がいますが、当時はとにかく希少だったので憧れの存在でしたし、すぐに全員覚えました。物理学賞は、湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈。その中でも湯川は別格で、何しろ名前が読みやすいですよね(笑)。あさながさん?みたいな。【註:朝永は「ともなが」と読みます。】

もちろん、当時少年の僕にとっても「湯川中間子の予言」という業績の分かりやすさは大きかったです。紙と鉛筆で導き出した理論で未知なる粒子を予言して、それが実験で検証されるというのが、子供ながらにとにかくカッコよくて、自分も湯川のように理論物理でノーベル賞を取るんだと意気込んでいました。まあ、典型的な物理少年ですね。

あと、高校時代に物理を教えて下さった緑川先生という方が、あるとき授業中に、大学時代に湯川秀樹の講義を受けていたと仰っていて、これが衝撃だったことをよく覚えています。湯川は僕が物心つく前に亡くなっているので僕にとっては歴史上の人物ですが、そんな偉人に直接物理学を教わるとは、なんという僥倖!当時の単純な僕は、これだけですっかり緑川先生に傾倒してしまって、おかげで先生の講義は一生懸命聞きました。この講義ではよく実験があって、そのたびにレポート提出が宿題でしたが、僕はここぞとばかりに渾身の力作を提出し続けました。そうしたら、レポートは5点満点で評価されるのに、僕は二回、10点を付けて頂いたことがあって、それが湯川に認めてもらえたようで嬉しくて、そのおかげで僕は今、物理学者をしているような気がします。

そう思い返してみると、やっぱり湯川の影響を随分受けていることになりますね。

 

 

 

Q:今後の研究をしていくうえで、今回の史料は役に立ちそうですか?

はい、今回湯川の記録に巡り合えたことで、僕自身の一人の研究者としての在り方を考える契機にもなりました。

研究者は、まあ基本的には楽しくて研究をしているんですが、やっぱりなかなか面倒だったり、理不尽に思えたりすることもあります。それに、大学にいると授業やら書類書きやら研究以外の仕事だけでもそこそこ大変で、そういう業務が立て込むと、研究はさぼって続きは明日にして、家に帰って寝ようと思うことがあります。

そういうときに、いやもうひと仕事、研究の続きをしようと心を奮い立たせ続けないと、なかなか研究成果を発信し続けることができません。では、どうして僕の心はそういうときに奮い立つのかと考えてみると、多分物理が素朴に好きというだけでは足りなくて、では何なのかといえば、やっぱり歴史上の偉大な科学者や先輩研究者の背中を見て、自分もそこを目指しているからなんだと最近思うようになりました。偉大な業績を残す研究者はやっぱり研究に対する打ち込み方も尋常ではないですし、現役の先輩方でも、もう十分業績があるのに熱心に研究を続けておられる方がたくさんいます。そういった人々に少しでも近づきたくて、夕食を後回しにして研究しているような気がします。

今回公開された史料というのは、我が国の理論物理学を切り拓いた湯川秀樹という巨人が、若き日にいかに研究に打ち込み、没頭していたかを如実に示す素晴らしい記録で、僕にとっても大変勇気づけらるものでしたし、僕に限らず他の研究者や学生の皆さんも含めて全ての人々の心を奮い立たせてくれる素材ではないかと思います。
特に、最近研究や仕事や勉学が思うように進まない人に、気分転換に眺めてもらえれば、何か発見があるのではないでしょうか。

 

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