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史料から読み解く湯川秀樹

「湯川黒板」:湯川秀樹の愛用した黒板

「この黒板から湯川先生のオーラを感じます」

 

これは、初めて湯川秀樹博士愛用の黒板にチョークで書いてみた、理学研究科の大学院生の言葉で、テレビニュースでも放映されたものである。実際、黒板の設置に関わった私も、黒板の現物がはるばるアメリカから日本に到着したとき、同じ感想を持った。しかし、いま、湯川博士の愛用の黒板は、完全に理学研究科の日常にとけ込んでしまった。毎日の大学院生のディスカッションや自主ゼミに使われ、まさしく、研究と教育のための黒板として、第2の黒板人生をスタートさせている。

湯川秀樹は、1949年にノーベル物理学賞受賞(この受賞の対象となった中間子論の論文は、当時、大阪中之島にあった大阪大学(旧大阪帝国大学)理学部で誕生し、この論文により湯川秀樹は大阪大学より理学博士の学位を取得したことを、皆さんはご存知だろうか。)の報を受けたとき、アメリカのコロンビア大学で客員教授をしていた。帰国となって空いた教授室を引き続き使ったのが、その後ノーベル物理学賞を受賞するT.D.Lee教授である。彼は湯川の使用した机や黒板などをそのまま敬意を持って使い続けたという。その黒板が、半世紀を経て、大阪大学に2014年3月に移設されることとなったのであった。理化学研究所のセンター長も務めたT.D.Lee教授の口添えと理化学研究所の御厚意で、湯川黒板は阪大へやって来た。阪大平野俊夫総長、湯川秀樹博士のご子息や南部陽一郎阪大特別栄誉教授が列席した黒板披露式典では、「黒板フェチの橋本さん」と何度も呼ばれた私だが、黒板好きが高じてここまで人をつなげることが出来たことを幸運に思っている。

黒板は、学生が自由に使える、理学研究科物理学専攻H棟の7階コミュニケーションスペースに設置されている。しかしこの頃の大学生は、LINEだのtwitterだのと忙しい。定められたメディア形式の中で泳がされ、自分の表現手段を制限してしまっていることに気付いていない。黒板は、自分のアイデアや考え方を、全く自由にしてくれるキャンバスである。まずは湯川先生のオーラを感じてみるだけで良いので、ぜひ使ってみてほしい。使ってみればすぐに、湯川黒板は自分の日常となり、そして自分が次のステップに立っていることに気付かされる。

文責:橋本幸士(大阪大学教授・湯川記念室委員長(2020年当時))

湯川秀樹の愛用した黒板に数式を書く、大阪大学の大学院生。

 

 

野依良治先生(理化学研究所理事長(当時))とT.D.Lee先生(湯川秀樹も使っていた部屋で研究をなさっていた)

 

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