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ノート:重量子の仮説と宇宙線観測Note: On the Heavy Quantum Hypothesis and Observed Cosmic Ray
OU1937-A2 (6ページ) 日付: なし
実験観測データをもとに湯川の重量子仮説が正しいかどうか見極めようとしている。ここで「重量子」とはのちに中間子と呼ばれるものであるが、電子と陽子の中間ぐらいの質量を持つ粒子のことである。1936年ネダマイヤーとアンダーソン(Neddermeyer, Anderson)が霧箱による宇宙線観測で「新粒子」を発見してすぐ後、ストリート・スティーブンソン(Street, Stevenson)も新粒子の飛跡を捉えた。湯川は、Street, Stevensonの発表論文の解析から考察を始める。この新粒子は実はミューオン(ミュー粒子)であることが後にわかるのだが、この時は湯川の重量子との区別がつかなかった。
湯川は宇宙線観測で見つかった粒子の質量が電子の質量の200倍として、エネルギー損失、磁場による曲がり具合などを計算する。2、3、4ページを見ればわかるように、計算は大阪帝国大学理学部の試験答案用紙に書かれている。電卓も計算機も無い時代、湯川は手計算で飛跡半径とエネルギーの関係をテーブルにしている。3、4ページはこれらの手計算のみが書き殴られている。(文: 細谷 裕)
史料提供:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館史料室 (s02-04-002)
OU1937-A2-s02-04-002