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講演原稿 – 原子核、陽電子Lecture draft : Nuclei and Positrons
OU1935-B2 (29ページ) 日付:なし
横書きの大阪帝国大学理学部物理学教室原稿用紙に書かれている。物理学教室の学生と教員向けに当時の原子核の問題と陽電子の発見に関することを丁寧に説明している。「今日のお話は大変大ざっぱでな話で、…復習のつもりでお聞きとり願ひます」と切り出すが、実はかなり高度な最先端の話題を順序よく解説している。湯川は、講演を準備する際、話口調そのままで原稿を書くのを常にしていた。
様々な原子核、アイソトープの質量欠損の実験データの解説から始まり、原子核反応のデータも交えて核力の問題に迫る。中性子についてはチャドウィック(Chadwick)の様々な実験を引き合いに出す。その後の陽電子に関する話は圧巻である。まずアンダーソン(C. Anderson)が宇宙線の研究の過程でいかに今でいう陽電子を発見したかを実験観測の詳細に踏み込んで解説する。観測された粒子が、電子と同じ質量を持ち、電荷が陽子と同じであることを実験的にいかに確認したかの解説である。湯川は原稿の欄外に「Andersonは之をpositive electron or positron、従来のelectronをnegative electron or negatronとなづけた」のコメントを付け加えているのも面白い。更に、その後、宇宙線に伴うシャワーが観測され、その中に陽電子が含まれていること、また様々な原子核衝突反応で陽電子が出てくることを説明する。
そして最後にディラック(Dirac)の陽電子の理論の解説が始まる。歴史的にはディラックの論文がアンダーソンの発見より先であったのだが、その当時、ディラックの論文を理解し、陽電子の存在を信じた物理屋はほとんどいなかった。ディラックのディラック海のホール(穴)が陽電子として振る舞うこと、ディラックはこの粒子をanti-electron(反電子)となづけたことを湯川は印象深く解説している。原稿の最後に、同位元素のテーブル表、質量欠損表、核反応のリスト表を付け加えているのも興味深い。
1932年の中性子と陽電子の発見は物理学の大変革をもたらすことになった。この息をのむような最先端の物理の展開を実験、理論の両面から論理的に分かり良く正確に説明できる人がいたのは、日本では大阪帝国大学と理化学研究所だけであった。(文: 細谷 裕)