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数物年会原子核討論会「メソトロンに関する一般的解説」Introduction to the Mesotron

OU1939-A2 (5ページ) 日付:1939年4月3日

この年、数物年会が京都帝国大学で開かれ、そこでメソトロン(中間子)に関する討論会が企画された。湯川は、最初に全般的な解説と導入を託され、その準備としてまとめたのがこの原稿である。湯川の解説の後、メソトロンに関する様々な研究が発表され議論された。湯川は、この年の5月に大阪帝国大学から京都帝国大学に移籍することになっていた。

湯川は一度原稿を書いた後、冒頭に追加のコメントを加えた。そこで「理論は行きつく所まで行き着き、困難な問題が残っている」「これを打開するには従来の量子力学では不可能かもしれない」と述べている。元の原稿でも、最初の節で「残念なことは私共の研究室と致しましては、特に討論して頂く価値のある様な材料を持って居らないことでありまして」と悲観的な口調で切り出している。

湯川の苦悩とは裏腹に、湯川のメソトロンに関する現状の解説は簡潔で的を得ていて素晴らしい。「メソトロン」なる新しい粒子は、湯川が核力を説明するために1934年11月に最初に導入したものだ。この講演の最後の方で、湯川は名前の変遷に触れ、「重い電子」「バリトロン」「U粒子」「メソン」などの名が使われ、「メソトロン」と呼ぶことに落ち着いてきたと述べている。

まず、実験からはっきりしているいくつかの性質をまとめている。(1) 質量は電子の100倍から200倍、(2) 電荷はプラスとマイナス、(3) メソトロンによる核力の到達距離は 2~4 x 10^{-13} cm、これは質量とうまく対応する。しかし、核力の性質から推察すると電荷を持たない中性のメソトロンも必要だが、実験ではまだ確認されていない。宇宙線の中に中性メソトロンがあるかどうか調べる必要があると強調する。

メソトロンのスピンと統計についての見解も面白い。この講演をした時点では湯川はメソトロンはスピンが1のボゾンであるとするのが最も都合が良いとしている。1934年の論文ではスピン0のスカラー粒子を提唱したのだが、その後の核力の詳細な分析に基づき、スピン1のベクトル粒子に解析を絞り込むことになった。現在では、スピン0の擬スカラー粒子とスピン1のベクトル粒子の両方が必要なことがわかっている。

湯川は引き続いてなされる講演 31. 仁科、32. 玉木-尾崎、33-34. 小林-岡山、 35. 坂田-谷川、36. 湯川-坂田、 37. 湯川 の導入もしている。講演36までは全てメソトロンに関するものだが、最後の講演37で湯川は場の理論の限界に言及している。(文: 細谷 裕)

史料提供:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館史料室 (s02-10-020)
OU1939-A2-s02-10-020
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