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朝永振一郎から湯川への手紙 (1935.1.23)Letter from Shin-ichiro Tomonaga to Yukawa (1935.1.23)

OU1934-B6 (4ページ) 日付: 昭和10年(1935年)1月23日

東京市本郷区駒込に住んでいた朝永振一郎から湯川へ送られた書簡。当初、大阪市東区内淡路町宛に送られたが、湯川はすでに西宮市六甲苦楽園に引っ越していた。湯川スミの父、湯川玄洋宛に転送された。

前年(1934年)の11月に湯川は有名な中間子論の論文を発表した。朝永も大きな関心を寄せていた。手紙の冒頭で、こちらは電子で原子核を壊す実験を仁科さんがやりたい様子で、その理論計算をやってみたが、「案の定小さな値」で、「あわれはかないものしか出ませんでした」と表現しているのが面白い。湯川の論文の原稿のリプリントか校正刷のコピーを送って欲しいと頼んでいる。また、先日、小林君から坂田君へ手紙したことは、自分と小林君がコーヒー店でやったDiscussionでしたので、後で見直したら、「あんなことは申上げなくてもよかった」と記している。

手紙の最後の方では、「仁科さんは小林君と僕と一しょにしたあの計算をなかなか書き上げてくれないので閉口です。・・・これは内証の話。」とぼやいている。湯川と朝永は心を打ちあける友であった。(文: 細谷 裕)

史料提供:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館史料室 (s04-03-010)
OU1934-B6-s04-03-010
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