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湯川秀樹の物理学

湯川の時代の物理学と中間子論(1) 湯川の時代の物理学

湯川の時代の物理学

 

はじめに ~素粒子物理への誘い~

身の回りの物質を細かく切り刻み、
分解していくと、何が起こるでしょうか?

どこまでも細かく分解できるでしょうか?
それとも、何らかの最小単位に行き着くでしょうか?

 

現代の科学では、この問いの答えは後者、つまり、宇宙に存在する全ての物質はそれ以上分解できない「粒」のような要素から作られていることが分かっています。この粒は「素粒子」と呼ばれ、このような物質の究極の構成要素を探求する学問を素粒子物理学と呼びます。

 

最先端の物理学によれば、我々人類がこれまでに観測した自然現象のほぼ全てが「素粒子標準模型」と呼ばれる理論によって記述されることが知られています。この理論によれば、物質はクォークとレプトンと呼ばれる素粒子から作られており、これらの粒子はゲージ粒子と呼ばれる素粒子をキャッチボールすることで相互作用します。また、最先端の素粒子物理学ではクォークやレプトンすらもさらに細かい構成要素に分解できる可能性を探究しています。

 

素粒子物理学は、ここ100年ほどの間に目覚ましく進展した学問分野です。そして、湯川秀樹の中間子論は素粒子物理が花開き、大きく発展する時期に決定的に重要な役割を果たしました。

 

以下では、湯川秀樹の生きた時代の物理学と、彼が中間子論に至る思索、そして中間子論が果たした歴史的役割を見ていきましょう。

 

20世紀初頭の物理学

まずはじめに、湯川が誕生した1907年当時の我々人類の物質観を振り返ってみましょう。

 

この時代に、上で紹介したような現代的な意味での素粒子の概念がなかったのは当然ですが、1900年頃にはそもそも、「物質は「粒」のような構成要素からできているのか?」という問いへの答えすら、科学者たちに一致した見解はなかったようです。

 

当時すでに、身の回りの物質が「元素」と呼ばれる構成要素から作られていることはよく知られていました。しかし、この時代にはまだ「粒子のような存在」としての元素は観測されていなかったため、そのような存在を認めようとしない科学者も多くいたようです。

 

しかし、それからわずか数十年の間にミクロの世界の理解は急速に進みます。元素が、「原子」と呼ばれる粒であることが判明し、そしてさらにはその内部構造すらも解明されます。またそれに伴い、ミクロの世界の法則を記述する理論も驚くべき発展を遂げていきます。湯川秀樹は、この素粒子物理の飛躍的な発展と共に成長し、多感な青年時代を迎え、その後の理論物理学に没頭する時期へと至ることになります。

(文責:北沢正清)

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