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朝永振一郎から湯川への手紙 (1933)Letter from Shin-ichiro Tomonaga to Yukawa (1933)

OU1934-B5  (14ページ) 日付:なし

7枚の手紙の表裏。湯川が朝永に送った論文や書簡に対する返事である。1933年の初期に送られたと推定される。1枚目の裏(2ページ目)には、湯川の手計算が書き記されている。湯川は1933年に大阪帝国大学理学部講師(兼任)、翌1934年には大阪帝国大学理学部専任講師となった。

この頃、湯川も朝永も核力の解明に明け暮れ、お互いに自分の考えを報告しあっている。この手紙では、朝永は「小生の方はただの計算ですから途中のprocessは別に面白くないと思ひますから省きますが」と切り出して説明を始める。中性子と陽子の反応に関するHeisenberg理論を分析しつつ、今でいう湯川ポテンシャルを仮定して重水素の質量欠損を説明しようとしている。ポテンシャルの取り方に任意性があり、当時のPegrumの最新の実験も考慮し、WignerやMajoranaの理論とも比較している。

手紙の最後のページでは、「大阪へ行かれる由およろこび申します。新興の大学故 活気があって面白いことと思って居ります。菊池さんなどが行かれたらいよいよいいでせうね。」と述べている。湯川と朝永の盟友は、大阪帝国大学と理化学研究所が日本における量子物理学のフロンティア・センターとなることを自覚していたのであろう。(文: 細谷 裕)

史料提供:京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館史料室 (s04-03-009)
OU1934-B5-s04-03-009
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