湯川博士について、NHK週間まるわかりニュースにて放送されました
【総合学術博物館湯川記念室からのお知らせ】
NHK週間まるわかりニュース(2020/10/3放送回)において、湯川博士について紹介されました。 また、その内容について、湯川記念室の橋本委員長がインタビューを受けられ、その内容がNHKの「ミガケ好奇心!」に掲載されていますので是非ご覧ください。
NHK ミガケ好奇心!
【番組内容】
番組では、湯川博士がどのような思いで研究に打ち込み、そして、世界に何を伝え続けたのかということを湯川博士の映像と共に紹介されています。
湯川博士は、1949年(昭和24年)に核力に関する中間子理論により、日本人初のノーベル賞を受賞されました。原子核をめぐるその大発見が世に認められた一方で、湯川博士は核兵器廃絶活動にも身を捧げました。その理由を橋本委員長は以下のように語っています。
「日本に原子爆弾が投下されたことと深く関係があると思います。原子の力を解放した原子爆弾も基本的な理論の一つを提唱したのは湯川博士。その考え方が、本人は意図しないまでも、最終的に軍事利用され、多くの日本人がそれで亡くなりました。その事実を彼は直球で受け止めて、非常に真摯に自分の作ってきた物理学の責任を自分できちんと説明しながら人生を全うした人だと思います。」
また、湯川博士同様に、核兵器廃絶を唱えるアインシュタインについても紹介されました。原爆は1905年にアインシュタインが発表した特殊相対性理論、E=mc2という公式が原理となり質量をエネルギーに変換することを利用する兵器で、その兵器が何の罪もない多くの人を犠牲にしてしまいました。そのことについても橋本委員長は以下のようにコメントされています。
「湯川博士とともに核廃絶を訴えた一人であるアインシュタイン。彼の発見したE=mc2という公式、原子爆弾はまさにこの考え方を使っています。実際にそれが使われた兵器がたくさんの人を犠牲にしました。それを目の当たりにして、アインシュタインも反戦の活動に転じたと想像します。世界、もしくは、宇宙の全てを支配するような数式を、一人の人間個人が発見してしまった。そういう立場はアインシュタインと湯川博士は非常に似ていると思います。」
自らの人生をかけて真剣に研究に取り組んだからこそ、湯川博士自身が社会に対する責任を重く受け止めているように思われます。
”核兵器のない世界を”
湯川博士は1981年(昭和56年)に74歳で亡くなる直前まで、国際会議などの場で反戦と核兵器全廃についてのメッセージを訴え続けました。